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コラム

ヒストリー 日本人と革靴

季節は秋を飛び越えて一気に冬めいてまいりました。

半年前には真新しい黒の革靴に初々しいスーツ姿からひと目で新入社員とわかったものですが、いまや寒空のもと、誰も彼もがビル風を一身に受けとめ前進していく姿が目に入りますと、社会を支える一員であり、かつ彼らは新しい時代を切り開く、まるで幕末の風雲児・坂本龍馬なのではないかという思いがよぎりました。

――坂本龍馬といえば。

和装を着崩して、蓬髪を決めたあの写真が有名ですよね。それまでの日本人に馴染み深い履き物と言えば下駄、草履、わらじでしたが、足元にはブーツ。彼は日本人で初めて革製のブーツを履いた人物だとも言われています。

今回は歴史に焦点をあてて、ビジネスマンの足元を支えるリーガル、そしてケンフォードに至るまでビジネスマンとは切っても切り離せない革靴との深い関係に迫ってみたいと思います。

日本人と革靴のファーストコンタクトはどのようなものだったのでしょうか?

時代の寵児が身につけたものだから、トレンドアイテムとして憧れの的であったはず……と思ったのですが、ものの本によりますとその履き心地は「最悪」だったといいます。

えっ?!、と驚く方もいらっしゃるかもしれませんが、それも当然のこと。日本人がそのまま欧米メーカーの靴を試してもなかなか足にフィットしにくいんです。

そもそも日本と外国では気候も体格もまるで違うので、靴擦れ、マメ、高温多湿な気候によるムレなどに悩まされ、誰しもが「我慢して履く」という選択肢をとっていたのです。

革靴ヒストリーにおいて大きなポイントは「明治維新」。この前後では、時代が分断されたかのように、洋服もヘアスタイルも当時の生活のほうが想像できなくなってしまいましたが「西洋式」が生活に与えた影響は計り知れません。

あの華々しく煌めく鹿鳴館でダンスをする紳士や淑女も慣れない靴の痛みに悩んでいたといいます。気丈に振る舞い踊ってこその時代。「革靴」本来のスマートでかっこいいスタイルが、悩みとともにあったのでは、オシャレな気分も一気に消え失せてしまったことでしょう。

貴族だけでなく一般の軍隊制度にも「西洋式」が取り入れられると同時に輸入されたのが「軍靴」です。日本人のための革靴づくりに大きく貢献したと言われているのが、佐倉藩出身の西村勝三という人物です。

彼は文明開化に賑わう1870年(明治3年)3月15日に西洋靴工場「伊勢勝造靴場」を創業しました。切に望まれた「自分の足にフィットする靴を履きたい」という期待に応えるべく「日本人のために革靴を作る」という情熱を胸に開発に取り組みます。足の研究から革製品の研究までも日々精進し、大正時代の初めにはロシアへ輸出を行うまでに成長していくのです。まるで、明治時代のプロジェクトXですね。今では想像するしかありませんが、日本の技術を世界に知らしめた一歩でもあるといった誇らしさを感じます。

1902年(明治35年)、西村勝三や大倉喜八郎らが中心となり、日本製靴株式会社(現リーガルコーポレーション)が誕生しました。

その後も1961年(昭和36年)にはアメリカの靴会社「ブラウン社(現クラレス社)」と「リーガル・シュー」に係る技術導入契約を締結し、更なる発展を遂げ、現在でも様々な場所で日本人に合った丈夫で履きやすい靴が作られ続けています。

日本人の靴は、やはり日本人の手によって作られていたんですね。そう考えるとなんだかほっとしてしまいます。日本人と革靴の歴史を知ったこの機会に、あなたにもぴったりの一足を探してみてはいかがでしょうか。

筆者Profile
小野寺ひかり
都内在住。シナリオライター、1990年生まれ。
女性ならではの視点でシナリオ・コラム・記事多数執筆。
大学在学時にジャーナリズム理論・コンテンツ産業論を学び
マーケティングとクリエイティブの2つの柱を重視している。
座右の銘は「七転び八起き」
こだわりを持つ男性に様々な視点から最新情報をお届けします。
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